『金継ぎ 修復と蘇生のアンソロジー』(ザネリ)
感想を書いた方がいいであろうとは思うのだけど、そもそも感想を書くのが恐ろしく苦手だし、何よりこの本に収められた物語たちについて、つまびらかにしたり分け入ったりするのはなんだか、違う気がする。(感想とはそういうことだけじゃないだろう、というのは一旦置いておいて) これらの物語について下手に語るのはまるで、誰かの傷をふとした拍子に見てしまうとかうっかり触れてしまうとか、そういう、してはいけない・しない方がよいと思われること、のような気分になる。
だから、というわけでもないけれど(どっちだよ)
少し、ずれた話を。
金継ぎ、というのは器の修復方法だ。
だが。器を修復する方法としては、些か変わっているような気がする。
欠けや割れを継ぐのであれば、その継ぎ目が目立たないように、と思うものではないのだろうか。
傷をなかったことにして、元通りの姿を目指して。
けれど金継ぎでは、継ぎ目は装飾され、目立つ。まるで主役のように。
たとえば、その傷が自分がつけた傷だったとしたら、わたしはそれを直視できるだろうか。
そこに傷があると認めること、それをちゃんと見ること、そうすることでしか、それを経てしか、見えない景色もあるかもしれない。

