ファスト教養

『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』レジー(集英社新書)

 

わたしはビジネスで成功するみたいなことに興味がないというか、少なくとも今現在の仕事はお金を稼ぐための手段としか思っていないしその仕事に業務時間以外のリソースを使うつもりはないので、ファスト教養を求める(この本で想定される)人はなんつーか、そういう人もいるんだな……みたいな感じだが。(何故読んだんだ)
ってゆーか、世のビジネスマンてそんなに立身出世を望んで行動してんの…?みたいな感覚もある。まぁ転職も(昔に比べれば)増えてるしってとこなのかな(自分の「市場価値」なるものを考える場面て転職くらいしかなくない?と思うのはわたしが狭い世界にいるからだろうか)。そもそもみんなそんなに仕事を第一義として生きてんのか……。
大体、上司/取引先相手や転職市場において相手と話を合わせられるためのネタ、のためにリソース使うくらいならほかにやることあるのでは……という気がしてしまう(まぁ、色々やらなきゃだから手っ取り早く知りたい、コスパを求める、ってことなんだろうけど……)し、そこで必要になる(という言い方にも違和感はあるが)ネタは相手が変われば変わるし、所謂上位者を想定している時点で自分はそこにはいけない気がするんだが、その辺はそういうビジネスマン(?)にはどう捉えられてるもんなんだろうな。
なんか、そういう、ファスト教養を求めているという層が自分とは違う感覚の世界すぎて&自分にはあまり興味を持てない世界でちょっと疲れてしまったw いや本の内容自体は興味深かったんだけど。

 

以下はメモ

(工学博士谷村豊太郎氏が実業家方面からのすぐ役に立つ人間を造ってもらいたいという註文に対して応酬した言葉について)「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる」

p.45(小泉信三『読書論』)

『立憲君主制の現在』(君塚直隆)に出てきた人が出てきてちょっとびっくりしたw
(小泉信三は元慶應義塾長。現上皇の養育係としてハロルド・ニコルソン『ジョオジ五世伝』を講読したという件が『立憲君主制の現在』に登場する)

『人生の勝算』(前田裕二)におけるAKB48(の総選挙)の構図についての記述が事実誤認と言えること(p.162)、こういうのって校閲はどうなってるんだろう…? というシンプルな疑問があるのだが。著者の認識(なので事実かどうかは必ずしも問題ではない)ということなのかなー。
#これに引っかかるのは、最近ステナビの盗用の件についてのブログを読んだので自分の中でちょっとホットだというのもあるだろうけど。。なんというか、最近の傾向として校閲はあまり重視されていないのかもしれない?と思ったんだがどうなんだろう。

Mr.Childrenの発するメッセージは本来シンプルな自己啓発ではなく、その裏側にある葛藤や多様な価値観への目配せが随所に見られる。

p.175

とあって、少しほっとしてしまった。(かつて傾倒するように聴いていた時期があるので……)
でもなんか、ミスチルってある年代の男性に好きな人が多いイメージはあるな。どういう聞き方なのかはもちろんわからんことだが。
この本に登場する自己責任論を内在化している著名人のほとんどが男性であること(女性も所謂スーパーウーマンであること)、自己責任論やファスト教養が前時代的なジェンダー観や家父長制と相性がいいということ、辺りは改めて目にすると中々グロい。

・『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』森岡毅
・『イシューからはじめよ』安宅和人
(p.194)

 

読みながら何度か心の中で「Noblesse oblige」と唱えてしまった…w
自己責任論は、そもそも努力できる環境にあるかどうかは運である、という点を無視してると思うんだけど、それは、そこを認めちゃうと自分の努力にも運要素が入ってきちゃう(自分の成功が自分の努力だけによるものではなくなる)のが嫌なのか、認めることでそこに公共として手当するのが嫌なのか、両方なのか。

「利他は偶然への認識によって生まれる」ということです。私の存在の偶然性を見つめることで、私たちは「その人であった可能性」へと開かれます。

p.217(中島岳志『思いがけず利他』)

高貴なる者かどうかはともかく、持てる者は分け与えるべきという思想はキリスト教やイスラム教にはあるし、仏教にもあると思うけど、『貴族とは何か』(君塚直隆)にもあったように最近のお金持ち(所謂成功者)には薄い概念なのか…? 倫理とは……。

誰もが「その人であった可能性」を想像できる社会であればこそ、誰もが成功者に対してドロドロしたやっかみではなく前向きな憧れを抱くことができる。

p.219