蜜蜂と遠雷(下)

『蜜蜂と遠雷(下)』恩田陸(幻冬舎文庫)

 

最後まで読み終えるまで書かないことにしていたので上巻時点では書かなかったんですけど。
ぐいぐい読んでしまう小説だった。
特に上巻は次は、次は、とぶっ通しで読めないことがもどかしい感じでちょっとでも時間があれば読んだ。
でも、不思議と興奮や高揚感はなかった。
作中のジェニファ・チャンへの亜夜(とマサル)の評が過る感じ。アトラクション。
下巻もどんどん読んだけど、ちょっと失速した。いやたぶん小説がではなくわたしが。飽きたのか何なのか自分でもはっきりとはわかってないけれど。
まぁそもそも舞台のある種確認のために読んだので消化になっちゃってる感はあるだろうけど…にしても…。。なんか、合わなかったんだろうな。

 

 

で。
ここから舞台の話。

とりあえず。舞台とは登場人物の印象が全員違ってびっくりした。
そんなことある!?
ちなみに?、物語についての印象も違う。物語についてというか、そこから舞台の枠に収めるために抽出する部分の選び方や強調の仕方というか。
……それはもはや別物では?
まぁでもそれはわたしの感覚であって、要は「解釈違い」というやつで、この場合原作者がOK出してる(というか作詞もしてる)舞台の方がたぶん正しくて(解釈に「正しい」などということがあるとすればの話だが)、わたしの方が解釈違いをしているということだ。

いやーでも、わたしこの小説から舞台つくるとしてマサルにあれとかあれとかの台詞は言わせないよ……それはもう全然違うじゃん……と思ってしまってつらい。
(舞台のマサルは中盤風間塵に嫉妬というか焦りみたいなものを出すけど、原作のマサルにはそういうの一切ない。風間塵の才能を認めつつも自分のことも圧倒的に信頼してる自己肯定感の塊みたいな人……)(思うに、舞台は風間塵に対して栄伝をあててるというか2人の関係をわりと強調してて、その脇でマサルは引き立て役チックになってるんだけど、原作だとみんな対等なんだよな……なんで舞台そうなった……その2人に絞りたかったんならいっそマサルも明石もいらんかったやん……)(そうそう、原作では明石がかつて亜夜の演奏を聴いていて憧れてたという設定がありコンクールで一度だけ遭遇してその一瞬ででもなんか通じ合っちゃったりするんだけど、舞台だとこの2人の絡みは一切ないんだよね。なので4人の中で明石だけ浮いてるというか、シーンの唐突感が一層増す)

一言で言うとなんかつらい。

奥村くんには早いとこもっと芝居してほしい(芝居してるのが観たい)し、夢中になれる物語を読みたい。