『旅をする木』星野道夫(文春文庫)
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」(もうひとつの時間)
「ジュノーにやって来ると、ジムはまず塩づけのサバをひとたる買い、捨てないでもらった一年間分の新聞を取りにゆくんだ。そして島に帰ってから、毎朝、ちょうど一年前の新聞を読んでいた。ただの一度も続けて読んでしまうことはしなかったらしい……」
ぼくは、この箇所がたまらなく好きだった。
「一年のうち、本当にまれに、リツヤベイを人が訪れることがあった。そんな時ジムは、時計を手に浜辺に出迎え、必ず今の正確な時間を確認するのだった……」
何と人間的な世捨て人だろう。(リツヤベイ)
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
(ワスレナグサ)
自然と対面して生きる、自然の中で生きる、自然に拠って生きるとは、目前の雪原の上にいつか見たオオカミの足跡を重ねて見ること、オオカミが雪の上を歩いていったその時を自分の中に持ちつづけることである。それが、より大きな枠の中にいる自分という安心感をもたらす。
(解説)

