『インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の<言語>地図』グレッチェン・マカロック、千葉敏生訳(フィルムアート社)
Because Internet:
Understanding the New Rules of Language
Gretchen McCulloch
英語圏(特にアメリカ英語圏)を中心とした分析ではあるけれど、インターネットへの流入の段階とか、ある時期以降の子どもたちにとってインターネットがどういう場所か、みたいなところはたぶんある程度共通なのかなと思う。
日本語でもインターネット言語学やってみたら面白そうだけど(というかおそらく既にやってる人はいるんだろうけど)、いかんせん日本語って(少なくとも欧米で開発されたソフトでは)検索が面倒すぎるんだよな……。(スペースを使わない日本語の文節区切りに対応してなかったりする)
I don’t know him from Adam’s housecat:彼のことはまったく知らない
p.031 言語と社会
テクノロジー研究者のジェニー・スンディエンの表現を借りるなら、人々が書く行為を通じて自分自身を存在させている世界においては、あなたがどういう文章を書くかと、あなたがどういう人間なのかが、等しい意味を持つのだ。
p.093 インターネット人
エンブレムは、ジェスチャーとデジタルの両方において、アフリカ系アメリカ人の文化の盗用の繰り返しで成り立っている。(中略)文化批評家のローレン・ミシェル・ジャクソンは、「リアクション系GIFにおけるデジタルの黒人扮装について話そう(We Need to Talk About Digital Blackface in Reaction GIFs)」と題する記事で、黒人は非黒人の使うGIF、とりわけ極端な感情を示すGIFのなかで、不釣り合いに多く登場している、と指摘した。彼女はこうしたステレオタイプを、ミンストレル・ショーの誇張した演技や、黒人の行動を大げさだととらえる長年の傾向を示す「animatedeness」という文化理論家のシアン・ネイの造語と結びつけた。
p.223 絵文字とその他のインターネット・ジェスチャー
「言葉がシェイクスピアにとって十分だったのなら、どうして今のわたしたちにとっても十分じゃないのだろう?」と考えたくなるけれど、いったん立ち止まって考えれば、実はシェイクスピアにとっても言葉だけでは足りなかったのではないか、とわかる。シェイクスピアの書いたものの多くは劇作であり、紙面上で読むことよりも、人間が演じることを想定していた。学校時代、肉体のない脚本としてシェイクスピアを読むのにはさんざん苦労させられたのに、演劇として見ると、急に命が宿ったように感じた人はどれだけ多いだろう?
p.257 絵文字とその他のインターネット・ジェスチャー

