パルコ・プロデュース 2025
@PARCO劇場
パンフが小型なの珍しい。ちょっとしっかりしたノートみたいな装丁でかわいい。後半は本当にノートになっていて、右下が相葉ちゃんの写真でパラパラ漫画みたいになっている。かわいい。パンフ全体、写真の質感とか色味とかもなんかいい。パンフ内の東西ドイツ統一前後の流れと用語集だけ開演前にさらっと読んだけど、劇中の台詞にそういうことかとか思えたので、そこだけでも先に読んでおいてよかった。
ラーラに「(お母さんは)真実を知る権利があると思わない?」と言われたアレックスが、西ベルリンへ行った夜のことを、「本当はあの夜、帰らないでおこうかと思ったんだ。このまま逃げてしまおうか、って」と言ったとき、モンスター・コールズだ…!ってなった。
この話は、東西ドイツ統一前後(主に後)の話で、その社会の中で生きているある家族の話だけど、息子の母に纏わる感情という点では、モンスター・コールズ的解釈も可能だなと思う。コナーにとってのイチイの木は、アレックスにとっては東ドイツで、東ドイツを存在させ続ければママは元気になる、と思っていたんじゃないか。アレックスがアリアーネが生命維持装置を切ろうと言ったことを責め続ける(後半の「どうせ早く死ねばいいと思ってるんだろ」もこのことを引いている気がする)のは、もちろんその発言自体への非難もあるだろうけど、一度は逃げようとした自分の後ろめたさもあったんじゃないだろうか。その後ろめたさが、余計にママを生かす(ために東ドイツを存在させる)ことへの執念になったんじゃないか。
これはわたしの側の事情も大いに影響してると思うけど、社会的なこと以上に、アレックスの母に対する感情みたいなところがより印象的だった。
もちろん、それはこの舞台の社会的な側面が弱いということではなく。シュタージとか、請願書とか、換金期限とかかつての教え子が無職なこととか、印象的にもさりげなくも統一前後の東ドイツの人々のことが織り込まれている。東ドイツが監視社会であったことも、でもそこに普通の生活があったことも、統一が実際には西側が不平等に東を飲み込む形であったこともわかる。
個人的には、社会にとって資本主義が正解なのか(もっとよい形はあるのではないか)(資本主義・共産主義以外にはないのか?)、という疑問はあっていい気がする。
ラーラがお母さんに真実を話し済だったこと(そしてそれをアレックスは知らないこと)を、ラーラとアリアーネもハンナとメラートも笑うけれど、クリスティアーネの答えは「あなたたちがしてくれたすべてに感謝」なのだろうなと思う。
最初にジークムント・イェーンが宇宙へ行ったことが出てきて、幼いアレックスはロケットを作っていることがガンスケ・メラートの会話からわかるんだけど、そのロケットが最後に繋がってたのはハッとした。そりゃポスターにもなる。みんなが噎せてるときに、パパひとりが両手を広げて降る遺灰を浴びようとしてるのがぎゅっとなった。
堀内敬子さん、四季だったのね…! 鎌倉殿のときから、声の響きがなんか違うなと思ってたけど、それ知って納得した。
トリンドル玲奈ちゃんめっちゃスタイルよかった。脚が細くて真っ直ぐだった……。てか舞台とか出てるの知らんかった。普通によかった。
わたし1年前に初めてPARCO劇場行って何故かこの1年で3回目なんだけどw、その2/3に浅利さん出てるw しかもTouching the Voidのリチャードと、今回のデニス、ちょっと似てる気がする。どちらも、物語を語ろうとする人、というか。(そしてちょっと胡散臭いw)
山崎一さん、どっかで観たよな……と思っていたら、ピカ☆ンチで親子役だった。そりゃ観てる。
相葉ちゃん生で観たの、5×20以来だな……。あらし現場自体がそう。こんなに空いたの、あらし現場行くようになってから初めてだ。
相葉ちゃんの舞台はいいと決まっているので(断言)、観られてよかったです。
ほんとうに、観られてよかったと思える、素敵な舞台だった。

