scripta autumn 2024 no.73

『scripta autumn 2024 no.73』第19巻 第1号 通巻73号

 

 

(前略)死者を「勝利へと導いた犠牲者」として称える物語しか知らなければ、称える以外の解釈を促そうとする平和会館の存在意義を理解することは難しい。不可能に近い。南京の遇難同胞紀念館に行くことが、犠牲者を英雄として称える行為であるならば、知覧特攻平和会館に行こうとすることも、特攻隊員を英雄視し、あの戦争を起こした日本を称える行為と同じだという誤解を招きかねないことも容易に予想される。(中略)平和会館と遇難同胞紀念館では、国家のなかで期待されている役割が大きく異なっている。博物館に行くという何気ない行為が持つ意味も、日本と中国においては決して同じではないのである。

崇高な――この言葉を私は、スラヴォイ・ジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』(鈴木晶訳、河出文庫)における「崇高な対象には何か内在的に崇高なものがあるわけではない、ということを忘れてはならない」との格言を肝に銘じて使うようにしている

「わたしの上海游記」夏申

博物館学みたいなところも興味はある、あるのだが。。