『声と文字の人類学』出口顯(NHKブックス)
面白かった。
フランスの人類学者ピエール・クラストルは、国家なき社会である新大陸のインディオの部族社会における、首長制と言葉の関係を論じている。
「国家」を形成する社会では言葉は権力(国家)の持つ権利であるのに対して、「国家なき」社会では、言葉は権力(首長)の義務であり、首長たるべき者は、語を思うままに支配しうることを証明せねばならない。首長にとって語ることは至上命令であり、黙せる首長は既に首長ですらない。
(中略)クラストルは、「国家」なき「未開社会」では、命令を発するという意味での権力は首長にはなく、彼の言葉は権威、命令の言葉たり得ることを拒否されているという。「未開社会」とは、首長ではなく社会そのものが権力の現実の場であり、分離された権力が特定の個人や集団だけに集中するのを拒絶する「国家に抗する社会」なのである。p.89 第三章 なぜ文字が「届けられない」か?
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』からの引用部分に「練り粉で作ったプディングみたいな大味なレベルにまで落ちた。」という表現が出てくるのだが、これはイギリス人にはすぐわかるものなのか、それともこの作中独特のものなのか。(本の内容とは全く関係のないことが気になるタイプの人間)
