PERSPECTIVE 20240109

JUN MATSUMOTO EXHIBITION PERSPECTIVE ―時をつなぐ眼差し―

@六本木ミュージアム

 

入り口のガラス張りの部屋は、潤くんの手書きメッセージが壁にプリントされてる。ここは撮影可。

入場は4~5人ずつ。
入ってすぐは「とても暗い」と説明される。暗いところ苦手な方、と訊かれたけど、これ手挙げるとどうなったんだろう…?

COLLABORATION_1 操上和美×松本潤
COLLABORATION_2 太田好治×松本潤
COLLABORATION_3 岡田准一×松本潤
COLLABORATION_4 井田幸昌×松本潤
COLLABORATION_5 小浪次郎×松本潤
COLLABORATION_6 田根剛×松本潤

1・2・3・5はそれぞれ内容も展示方法も違えど、潤くん、もしくは家康を演じる潤くん、を撮った写真。
当たり前だけど、誰が撮るかでこんなに違うんだなと思った。
わたしはこれまでその理由を撮られる側(もしくはその理由を想像して見る自分)にばかり見ていた気がするけど、撮る側がどう見ているか・どう撮りたいか、も大きいんだな、と思った。
特に師範のところ。展示には、師範の言葉と、2人の対談もあって。師範は潤くんのことを「目に潤みがある」というように表現していて(正確じゃなかったらごめん)。で、師範の撮った潤くんは、ほかの人が撮ったものより幼く見えたんだよね。先輩後輩なのもあるだろうし、若い頃の家康だというのもあるだろうと思うけど、後者に関してはずっと撮ってた太田さんの写真の若い頃の家康の潤くんとも違う見え方だった。師範の撮った潤くんは、なんというか、透明感と微かな憂いのある少年だった。

潤くんを撮った写真を観に行くと、見方が難しいかもしれない、と思う。
そこにあるのは確かに潤くんを撮った写真なんだけど、鑑賞者に求められているのはただ写真を見ることというより、感じること、な気がするし、そのために凝らされている趣向をある種フラットに受け止めるのは、実は難しいことかもしれないな、とか。
なんつーか、こういう「鑑賞」に慣れているか、というのも多少関係してしまうと思うし。やっぱりちょっと指示待ちになったり、わかりやすさに寄ってってしまったり、というのが起きがちかなーと。自分も含め、ね。
最後の展示、面白いなと思ったし、もっと人の少ない状態……なんなら自分だけという状態で、もっと動いてみたりもしながら体感してみたかった気がする。

あー、フォトブースはせめて事前にルール説明が欲しい。いきなりブースに放り込まれて、スタッフは撮れません(連れがいなくて誰かに撮ってほしい場合は客同士でどうにかして)、30秒です(放り込まれた3組で撮り合ってると時間足りない)、はちょっと厳しいのでは。なお、観測されたパターンとしては、3組で撮り合って時間足りなくなる、並んでる客に頼んで撮ってもらう、無人のブースを撮影or自撮り、という感じw あと、ブースは3つだけど端の1つだけ白地にロゴな壁面の横なのでおたくはそれも撮りたいが2種撮ってると確実に時間足りないし係員には自分のブースだけで撮れと言われたりする。
もっと言えばさくらいのときみたいに、スタッフ側で撮ってダウンロードする形でよかったのでは?とも思っている。さくらいのときにそのシステムだったのはARあったからだけど、そういう仕掛けなしでもその方式の方が結果スムーズなんじゃないかな……。そもそも並んでる客から丸見えなのもなかなかだしな…w

展示回りながらふと、あらしは今でもこの規模のことをやれるんだな……(主に金銭的な面で)と思ってしまってすまんかったw いやでも、さくらいのもそうだけど、メンバー1人のしかもある程度限定された内容の展覧会を、あの会場で、何人ものクリエイターとコラボして、それなり手間とお金のかかってそうな展示をして、採算的にも成り立つってことなんだよね。おたく(ある程度ライトな人も含め)がちゃんといるってことで。(逆に、メンバー個人でも何かしら活動していた方がいい(おたくの熱を保たせられる)という面もあるだろうけど)

 

面白かったです。
冊子開いた時点で、潤くんって小難しいよな!って思いましたww(こら) さくらいとはまた違っためんどくささがあるよな潤くんて。そういうことを久々に実感できたし、あらしのコンサートはあれで結構まろやかというかわかりやすくというか……にしてるんだなと思った。最大公約数を取りに行ってるし、それは自分ではなく、5人として、5人を観に来る人たちに対してなんだな、と。いやあらしのコンサートならそりゃそうなんだけどw、改めて。

最後の展示を観た状態で外に出ると東京タワーが鮮やかに浮かんでるの出来過ぎだとおもった。