八つ墓村

『金田一耕助ファイル1 八つ墓村』横溝正史(角川文庫)

 

面白かった。こういうのってわりと一気に読んじゃうよね。

先に舞台を観たので、どうしても比較してしまうのだけど。
一見原作の方が人間臭い気がするけど、わたしは舞台の方が人間味がありかつ悲しいように思った。
原作の犯人はどちらかというと怪物性が協調されているような。舞台版の犯人の方が悲しい。というかそもそも動機が違うのね。
舞台版は結構改変されてるんだね。殺される人数も違う(舞台では殺されない人がいる)とか、戦争の影が濃くないとか。そう、舞台はめっちゃ戦争・軍隊での傷が強調されるけど、原作はそうじゃなかった!w 原作の要蔵は、田治見の当主には(代々)狂疾の気があるという点だけで済まされている…。あと、これはパンフで齋藤さんも書いてるんだけど、原作は何故田治見が要蔵の事件後も分限者としていられるのかが書かれていないのね。なんなら村人たちはそのときの恐怖や憎しみをまだ抱えているのに。でも、「発端」によれば、要蔵はまだ生きていると思っている人もいるらしい。この辺の感覚が、田舎の村の複雑な関係やそこにいる人たちならではのものということなのかどうなのか。舞台版でそこを尼子の三千両と結びつけたのはやり過ぎ感なきにしもな気もするけど、観客の感覚も考えたらまぁ理由はほしい気がするよね…。それもあってか、犯人の動機も変わってるんだけど、それはよかった気がする。村の人たちへの告発になるし、ラストシーンとの対比になる。…逆か、あれがあるから、ラストシーンがああなるのかな。
わたしは舞台は舞台で好き。原作は怪奇を楽しむ感じで、舞台は人間ドラマ、かなあと。

原作、なんなら舞台版以上に辰弥の話だった。何せ辰弥の一人称。だから金田一たまにしか出てこないw

 

原作の辰弥は自分で自分のことを孤独だと書くけど。
舞台版の辰弥は自分が孤独だとか寂しいとは言わないんだよね。そんなことは表情にも出さない、どこか勝ち気にも見えるような佇まいで。でも、たしかに独りに見える。空気、ではないんだよね。纏ってるとか醸してるとかそういうことじゃなくて、とにかく、この人は独りなんだ、と思わせる何かがある。これは一体なんだろう、とおもってる。すごいなあ。