@やまと芸術文化ホール
大和市文化創造拠点、で、愛称はSiRiUSというらしい。
図書館もあるしスタバもある。ホールも新しげ。
バンド演奏もりもりだった。思ったよりずっと曲演ってる時間が多かった。
大人しく座席で観てるのが変な感じだった。ライブハウスで聴きたい。
ジョンってあんなだったのかな?みたいな感想を、ついったーでも見かけたし、後ろの辺りの席のおじょうさん方wも言ってたけど、
母曰くジョンはいっちばんワルい奴とのことなのでw
まぁロックバンドやしな。
(ある程度下の年代の人たちにとってはImagineのイメージなのかなーとか。まぁあれだって、所謂ふつーの人はああはならないとおもうけどな…)
たつみの顔が小さい…。(知ってた)
とつかさんて顔綺麗だよね…。(知ってた)
母が、だんだん、特にジョージとポールが若い頃の彼らに見えてきた、と言っていた。なお、母のビートルズでの推しはジョージである。
開演前、巨大な額縁が途切れたものが舞台を斜めに縁取るように浮かんでいて、既視感があるな…と思っていたんだけど、開演直前になって、もしかして:ドリボ と気づいてしまい…せめて終演後に気づきたかった…w
ブライアン・エプスタインという名前を、過去にじゃに舞台でも聞いた…と思ってずっと考えていて、えび座(じゃにーず伝説)かなとか思ってたんだけど、今(20190623 0300)思い出した!PZ’08のニッキパートだ…! スチュが脱けた4人がブライアン・エプスタインと出会った場面よかったな。わかりにくいジョン(とポール)、それをわかってるジョージとピート、こどもみたいな無邪気なノリで軽口を叩きニックネームを決めてしまう。…なんとなく、母がじゃにーずを好きになったのがわかった気がする、なんて言ったら彼女は怒るだろうか。
クラウスとリンゴを演じていた西川大貴さん、DAY ZEROのアンサンブルが印象的すぎて、またお会いできましたね…!みたいな気分にw
スチュと、そしてピートとの別れは、青春の終わりでありビジネスの始まりだったのかな、とか。まぁそういう物語なんだけど。(物語としてそういう風に描かれた、というか)
女性キャストがアストリッド役の方だけなのも意図があるんだろうなあ。(ほかの女性役(アンサンブル)は男性が演じていた。最初の頃にスチュの絵に50ポンド出す夫人は男性が演ってるんだろなって感じだったけど、インドラのトイレ係はそう見えなかったのでちょっとびっくり) しかし、パンフレットでアストリッドについて(ストーリーやキャストの部分以外で)触れられていないのがなんか怖い。(ピートやクラウスについては(コメントもあるけど)解説されているし、物語の登場する人・物について一言なりとも説明があるのに)アストリッドだけ解説ゼロでどういう人でその後どうなったのかわからないのが怖い。まぁ、実際にわかっていないのかもしれないけど。
最後にジョンとスチュが消えていくラスト、これを観る客席はジョンも若くして亡くなったことを知っているんだよな(たぶんそれを前提に作られているんだろうな)、と。(そして今やジョージももういない)
しかしスチュがアストリッドと出会ったことでバンドから離れていくことになるこの話、その後のジョンがオノヨーコと出会ってからのことを思うとなんかこう…なんともいえない気分になるな…。
母が言ってたけど、音楽で誤魔化されてるけど(w)暗い嫌な話だよね、と。たしかに。
神話になったロックバンドの、神話になる前の話。でもそれが物語として商業として成立しているのは、彼らが神話になったからで。神話になったからこそ、その物語は彼らの手を離れてしまった、彼ら以外の人びとによってつくられ語られるものになってしまった。そこでは、どんなに嫌な話でもかっこよく描いてしまう崇拝がつくり手側にはあるだろうとかおもったりもした。
青春の話、ってわたしが接してきたものはみんな男の子のもので、それはたぶんわたしがずっとじゃにおただからなんだけどw、
こういう青春の物語で、男の子じゃなくて女の子の物語に、女の子がヒーローの添え物ではない物語、女の子たちが男の視線ではないところから語られる物語、そういうものにもっと幼い頃に出会っていたら、もしかしたら何かが違っていたのだろうか。いや何が、って言われても困るんだけど、それは学校生活かもしれないし人間関係かもしれないし部活かもしれないし趣味かもしれない、今となってはもう、悔やむことさえできないものたちがもしかしたら。
ハヤカワで百合SFが特集されている今だからそういうことをおもった、という面もあるだろうけど。
