ゴドーを待ちながら

『ゴドーを待ちながら』サミュエル・ベケット、安堂信也/高橋康也訳(白水Uブックス)

実は読んだことなくてですね…読んでみねばとは思いつつ…。。
先週『ストロベリーナイト・サーガ』というドラマに寺西が出るというので家族と夕飯食べながら観ていたんだけど、なっかなか出てこなくてw 役名(ヤナイケント)は度々呼ばれるんだけど一向に出てこなくて(結局回想・過去シーンがちょろっと、だった)、家族が「ゴドーを待ちながらみたいだね、読んだことないけど」と言ったので、そういえばそうだないい加減読むか、と。(動機がくだらなすぎる)

 

思ったよりキリスト教色が強いように思ったけど、解題読むとキリスト教に限定する意図はなかった模様。

作家は神話を自分の目的に合わせて利用する。私にとってはキリスト教の神話がいちばん馴染み深いので、これを私の劇的意図にかなう限りにおいて応用した

不条理劇だし、わからないのが正解のような気もするけど、
ときどき思い出してたしかめるように読み返したりするのかもしれない、とどこか予感のようにおもったりしている。

『朝日のような夕日をつれて』がこの作品を踏まえているっぽいことはなんとなく知っていたけれど、「朝日のような夕日」自体が『ゴドーを待ちながら』を連想させるものだと初めて知った…。(2回くらい読んでるのに…)
これもそのうちまた再読しようかな?

 

エストラゴン:もう行こう。
ヴラジーミル:だめだよ。
エストラゴン:なぜさ?
ヴラジーミル:ゴドーを待つんだ。
エストラゴン:ああそうか。