『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』ジェイムズ・リーバンクス、濱野大道訳(ハヤカワ文庫NF)
わたしはピーターラビットが好きな子どもだった。毎晩の絵本の読み聞かせに毎晩ピーターラビットを所望し母は飽きたと後々言われたことがある。
湖水地方、というのはわたしにとってピーターラビットの舞台であり、ビアトリクス・ポターが愛し所有した農場を遺言により現状のままという条件付きでナショナル・トラストに寄贈した場所、という認識しか持っていなかった。一言で言えば、漠然とした憧れの地、だった。
この本を手に取ったのも、湖水地方が舞台だったから興味を持ったというだけだ。
本を開いて初めに飛び込んできたのは、農場やその労働者を見ず景色にだけ価値を見いだす都会からやって来た人々への怒りで、わたしはとても驚いた。(と、同時に、わたしもそれに似た怒りを持っているなともおもった。観光地に暮らす人間として、生活している街をまるでテーマパークのように歩く観光客たちに、生活の場が観光地に侵食されていくことに、どうにもならない憤りがある。)
この本にあるのは幻想的な風景だけではなく、書かれているのはそれをつくっている農場とその営みだ。何世代にも渡り続いてきた営み、その継続こそが景観をつくっている。
生き方は人それぞれだけれど、効率化や生産性の名の下にこうしたものを否定するのはとても傲慢(かつ愚か)だとは思う。(こういう暮らしをただ賛美したいわけではない。ただ、都市を生活の拠点とする人間には想像の及ばない暮らしがある、ということは知っていたい。そして、誰かの生活を理解しない人間がその暮らしを語ることも、傲慢だと。)
本では、夏・秋・冬・春、と季節の営みが、今と過去(思い出、聞いた話)を綯い交ぜに描かれる。
それは著者の追憶でもあり、今はなき習慣の記録でもあるが、この記述方法は、同じ営みが祖父や父の時代やもっと前からいままで連綿と続いていることを示そうとしているのではないかともおもう。
(訳者はあとがきで、「法則を見いだしたつもりなのだが、それが正しいかどうかはわからない」と書いているので、表現としてもっと別の意図があるのかもしれないが)
ところで、著者は湖水地方にゆかりのある作家ではビアトリクス・ポターを一番敬愛している、と書かれていた。わたしは単純なのでなんだかうれしいw
「ティギーおばさんのおはなし」が引用されていたんだけど、家にある絵本を引っ張り出してきたところ、一部省略されていたことが発覚した…! どうも、実際に近所にあった三つの農場の名前を出していたみたいなんだけど、わたしが持ってる本には二つしかないのよね…。まあ子ども向けだし小さな本&ひらがななので字数も限られたんだろうけど!
…わたしこれまた探す旅に出てしまうのでは? というか原文で読めという話なのでは? え、読めるかな?(引くほど英語が苦手)
なんにせよ、やはり湖水地方には一度行ってみたい、と、いまでも(この本を読んで改めて)おもう。
「ティギーおばさんのおはなし」

